小学生の時・・初めて手にした「真っ赤なショーツ」に心ときめかせて以来・・。この年になるまで
自分というものがよくわかりませんでした。
女装僻、女装趣味?いや・・もしかしたら自分は病気なのではないか?女性になりたい男性なんて
変態なのではないか?そう思いながら時を過ごしてまいりました。

身体は間違いなく男性です。しかし?心は?果たしてどっちなのでしょう?そもそもどっちなのか?
と区別する事が可能なのでしょうか?考えれば考えるほどわからなくなります。



         私はいったい?どっちの性?


このコーナーでは、私自身の性自認について考えてみたいと思います。

同じように悩んでいる人がいたら、こんな考えもあるという事で気楽に読んでいただければ幸いです。
異論のある方もいらっしゃると思いますが、あくまで私の知る範囲から参照したものですので
よろしくお願いいたします。

1.Gender identity

ずっと前に「トランスジェンダーの文化」という本を読んで、性同一性(Gender identity)という言葉
を知りました。簡単に言えば、自己の性別に対する自覚と確信の事です。
これは内的な事ですので、「性役割」とはまた違います。性同一性を公に表す言動が、性役割
になります。
それから言えば、私の性役割は、完全に男性に属するものとなります。社会的にも家庭的にも
言葉も服装もすべて男性だからです。
しかし・・時として、女性になりたいという内面が顔を出す事があり、女装という行動をするように
なります。女性の性役割を望む自分がそこにいるからなのです。

と、いう事は、私の性同一性には、問題があると言う事になります。

時として、男性としての自覚と確信にゆらぎが生じるからなのです。

2.性同一性障害

Gender identity disorder、略して GID などとよく言われていますね。
なるべく理解しやすいように簡単にお話ししたいと思います。

私のような趣味を持つ人の中には、それが趣味ではなくなっていく人もいます。


・自分の性に違和感を感じていて、それに我慢ができない


こういう方がそうですね。

このような方は、すでに社会に生きるコトへの障害となっているわけですから、やはり性同一性
障害というものなのでしょうかね?これはもう〜女装ではないですね。
いわゆる性転換症と言われるものです。

性転換症については、ICD-10(世界保健機構が出版している診断ガイドライン)によれば

    異性の一員として暮らし,受け入れられたいという願望であり,通常,自分の
     解剖学上の性について不快感や不適当であるという意識,およびホルモン療法や
    外科的治療を受けて,自分の身体を自分の好む性と可能な限り一致させようとす
     る願望をともなっている。このような性転換的な性同一性が少なくとも2年間持続
     している。


との説明があります。

これから見ると、私はぜんぜんあてはまりません。なぜならば女性にはなってみたいけど
外科的治療をしてまで、女性になろうとは思わないし、社会的には男性のままで良いのです。
自己の性に対して「不快感」というまでは感じないのです。
こういう人って案外多くいらっしゃるんじゃないかと思います。
私はどちらかと言えば・・


     ・女性への強い憧れが昂じて、自分も女性になろうとする


コレに近いかなぁ〜?と思います。

ただ、これも純粋に女性に憧れるパターンと、性的欲望を満たすためのパターンとあると思う
のです。
女装によって、興奮して、性的欲望を満たすケースと、女装によって、自己の充足感を得る
ケースとは別物だと思うからです。

私の場合は、純粋に女性に憧れるパターンでしょうか?
私の場合は、あんまり性的な意味って少ないので、「ただ女性の奇麗さに憧れている」という
ケースだと思います。だとすれば・・「両性役割服装倒錯症」と言われるものだと思います。

両性役割服装倒錯症とは・・

  性転換や外科的な変化を望むわけでなく,服装を交換することに性的興奮を伴う
  わけでもない,一次的な異性の一員となることを享受したい願望をもつもの

という説明がなされています。
実はこれも GID (性同一性障害)の1つなのです。

これとは違い、女装によって、興奮し、性的欲望を満たすケースは、フェティシズム、又は
フェティシズム的服装倒錯症と言います。女性の下着により、性的興奮を得るような場合は
単なる下着フェチ。男性と女性とでは、若干角度は違うものの、男性と女性両方有り得ます。
これは明らかに、 GID とは違います。では、フェティシズム的服装倒錯症はどうでしょうか?

フェティシズム的服装倒錯症とは、

  主に性的興奮を得るために異性の衣服を着用すること。これは,フェティシズムの
  対象となる物品や衣服を単に着用するというだけでなく,異性としての外観をつく
  り出すために着用するという点で,単なるフェティシズムから区別される。通常一
  点以上の物を着用し,しばしばかつらや化粧品を加え完全な装いをする。フェティ
  シズム的服装倒錯症は,性的喚起と明らかに結びついていることと,いったんオ
  ルガスムが起こり性的喚起が止めば,衣服を脱いでしまいたいという強い欲望が
  起こることによって,性転換願望症の服装倒錯とは区別される。

と、あります。
そうであるとするならば、私は、両性役割服装倒錯症か、フェティシズム的服装倒錯症の
どちらか?という事になってしまいます。前者であるならば、私は GID です。後者であるならば
GID ではなく、「性同一性障害に表面的に近似した状態」と言う事になるでしょう。

実は、恥ずかしいお話しですが、私はもともと「フェティシズム的服装倒錯症」だったと思います。
なぜならば、性的喚起が止めば、自分が着ている女性服に違和感を感じ、脱いでしまいたい
という衝動にかられたからです。しかし!今は違います。

今では、性的な意味はほとんどありません。純粋に女性に憧れての女装だからです。
であるならば、私はフェティシズム的服装倒錯症から、両性役割服装倒錯症に進んだ事に
なります。
つまり、この女装という行為・・この行為は常に動的であるという事になります。常に移行
して行く可能性があるという事になるのです。

つまり、性自認とは、常に変化するもの・・という事になりますよね。

だとするならば、その時点での個々の状況をもって性自認を行う事に何の意味があるのか?
と疑問を持ってしまいます。

確かに、段階的に進んで行き、やがて手術による性転換へと進む人もいると思います。
そういう人にとっては、「手術を受ける為、あるいは、ホルモンによる治療を受ける為」に
GID のガイドラインは確かに必要なものかもしれません。

でも、私のように、そこまでするつもりは無いという人間にとっては、このガイドラインは



         無意味!


なのです。(^^;)

思うに幅があると思うのです。進行する度合の幅が、女装の段階で終わる幅なのか?はたまた
それを越えて、さらに治療という形で行うところまで行くのか?の・・。

そこで、これまで書いてきた、ガイドラインをすべて無視して考えてみた時に、性同一性障害
に対する見方も変わってきました。
性同一性障害・・障害と言うからには、何等かの障害がなくてはなりません。思うに、自己の性別
に対しての強い違和感が問題なのです。これが


       「障害」と言えるほどに


強いものである場合が、そうなのだと思います。自分が女性にならなければ、社会生活を
送れない!生きていけない!こう思うほどに強ければ、その人は間違いなく GID だと思います。
逆に、


      「障害」と言えるほどでも無い


という人は、どうなのでしょう?私はこのパターンです。社会生活は普通に送っています。
結婚もして、子供もつくり、妻との仲も平和そのもの・・社会的にも男性としての性役割を
果たしています。ただ、時々・・女性としての自分を確認しているだけです。
ガイドラインによれば、私は GID という事になりますが、これがGID と言えると思いますか?




    絶対!違うと思います。




心のどこかで、「私は男性だ!」と主張している自分がいるからなのです。そしてそれは、
ガイドラインでは、計れない部分だと思います。人間は個々に違うものですから、それを
一つの形にとりまとめようとする方にムリがあると思うのです。

そこで!先日来。自分で自己分析してみました。

かつての私は

・女性の下着が大好き
・女性の衣服を身に付ける事に幸せを感じる
・性的興奮を得る

一方で、男性的特徴と言える精神を多く持っていました。行動や言動、責任感などなどです。

さて、現在は・・です。

・女性の奇麗さに憧れている
・性的興奮はしない
・女装する事に幸せを感じる

などなどですが、一方では、男性的特徴と言える部分は、昔のままであり、まったく変わって
いない
のです。
つまり、性同一性は、変わっておらず、自分が望む「性役割」に対して、部分的に女性のものを
望んでいるというパターンになったわけです。

ここで私の意識下を探ってみました。分解して考えてみれば・・

・女性が好きである
・男性は性的対象にはならない
・女性の肉体に憧れがある
・男性の肉体に違和感は無い
・男性としての社会生活に違和感は無い
・女性としての生活はしてみたい

などなどが羅列されました。
ここで、フト・・気が付きました!ひょっとして私は・・男性としての性同一性に違和感が無く
♂としての自分が嫌なのではないか??と・・。

そうです、♂としての自分が嫌なのです。男性としての性欲に対する嫌悪感があるのです。
しかし、精神的、社会的な意味での男性としての性は、完全に受け入れられるものであり
逆に女性になりたいとは思わないのです。

以上の事から考えると、私の性自認・・すなわち「性同一性」は、昔から変わってはおらず
明らかに男性なのです。精神的、社会的性役割も男性なのです・・。ただ違っていたのは??




         ♂としての性役割!!



これに対して強い違和感があったのです。

人は、個々に違います。それぞれの顔や指紋や肉体があるように、その心も色々なのです。
私は別に、♀としての性役割をしたいわけではありません。♂としての性役割が嫌なだけでし
た。これとはまた違った部分が違う人もいるでしょう。それこそ人の数ほど違うと思います。

世間ではいわゆる「おかま」と、ひとくくりに言われるけど、それを分けてみれば、GID になる人
そうでない人、両性役割服装倒錯症であったり、フェティッシュであったり・・その中でもまた細部
にわたり、細かく見て行けば、



      微妙に違うそれぞれの性


があるわけです。そんなものをいちいちガイドラインに照らしてみて、あーだこーだ考えて
みても、結局は結論なぞ出ません。
性自認する事の意味さえ薄くなってきます。考えてみて下さい・・

性同一性・・Gender identityです。

Gender を抜けば、まず identity があります。自分が自分である事・・。その部分だけは
変わらないものがあります。その identity は、それぞれの個性とも言えます。
私の個性は、より男性に近いものでした。従って、Gender identityも結局は男性に近い
ものとなっているようです。ただ性的役割に違和感があるために女装をする事で、欠けている
部分を埋めているわけです。

何度も言いますが、違和感と言っても、それは一方が嫌だから、もう一方を望む・・とは
限らないのですよ。嫌だから反対のものに身を変身させるだけの事かもしれません。
その部分一つとってみても、人の精神は何と細分化できるものだろうか?と思わずにはいら
れませんよね。

私にとって、女装は自己の追求です。と言うと格好は良いですが(^^;)要するに精神的な
欠けている部分、又は違和感のある部分を埋めているだけなのです。

それをもって「変態」と言う人がいるとしたら、その人はよっぽど



         完璧な人


なのでしょう。(^^;)何をもって完璧と称するかは、わかりませんけどね〜。
だって欠けている部分が一つも無いのでしょうからね。私から言わせれば、個性が無くて
気味悪いですねー・・そういう人・・。

もし・・若い方で、この文章を読んでおられ、かつ!自分の性癖に対して悩んでおられる
人がいましたら、言っておきますね。自分が変態だと悩まない事です。人は違っていて
当たり前
なのですから(^^)

誰も言わないけれど、それぞれに特別な嗜好は持っているのですよ。それは自分の充足感
を得る為のものです。人は幸せになるために、努力し、生きているのですからね。
それを望まない人はいないはずです。
誰にも迷惑をかけずに、自己の充足感を得る事のどこが悪い?だから私は自分がおかしい
何て思った事は、ありません。昔は悩みましたけどね。基本的に、今の自分が好きなのです。

個性は誰しも持っているもの・・そういう個性を持った自分を好きになれれば、人から何
言われても恐れる事はありません。ねぇ〜・・皆さん・・



   自分らしく生きようネ♪(^^)



                              おしまい!