進化の定め 〜もう一つの物語〜




★ 獣人 秋山信吾

突き出た鼻面は醜く、むき出しの牙の間からは唾液がしたたっている。鼻は空気の
流れの中に新鮮な血の匂いをかぎつけたのか、ヒクヒクとうごめいていた。

低木のジャングルのあちこちには犠牲となった力の弱い小動物、あるいは元獣人で
あったものの骸が、まるでおもちゃを散らかしたように散乱している。
本来、緑であるはずの木の葉さえも赤く染まり、赤い血をしたたらせ、この世の
地獄を思わせていた。
臭気は堪え難いほどの腐臭と生臭さを発散しているが、獣人には気にならないら
しい。そんな環境の中でも、新鮮な血の匂いを嗅ぎ分ける事ができるくらいなの
だから。

定期的に新たな食用肉、すなわち生きたウサギや豚などの生き物が、この南鳥島の
南部地区には放りこまれる。これが獣人たちの食料なのであった。
彼ら獣人にはモラルもルールも存在しない。ただ本能と破壊欲のみで生きている
存在である。従って、新たな獲物が放りこまれると、それは奪いあいの凄惨な光景
となるのだ。

ルールがあるとすれば、それは「力」であった。特殊な能力を持つ者や力の強いもの
だけが生き残る事ができる。

獣化した人間は、教育を受けられない。それは、獣人の変形した頭蓋骨では脳の発達
が妨げられ、どんなに教育をしても成果がなかったからだった。しかし事実は少し違
っていた。殺戮に対する押さえきれない衝動や精神の不安定さにこそ原因があったの
だ。

ましてや、小さな時に連れてこられてから、ただただ生存本能だけで生きているのだ。
だから行動は獣そのものであった。知能も低く殺戮と食欲と性欲だけで生きている忌
まわしき存在。それが獣人であった。

「俺は誰だ!!」

吠え声しか聞こえるはずのないジャングルの中に、人の声らしきものが響く。
変形した犬のような口では、発音もくぐもってはいるが、確かにそれは「言葉」
であった。

「俺は誰だ!!!」

反応するものは勿論いない。空しく、声だけが響く。

「俺はだれなんだぁー!!!っ!」

息を切らせて、口元から唾液をしたたらせ、獣人は吠えた。
身体には剛毛が生え、顔はオオカミそのものであった。爪は人間と同じ5本の指に
鋭くはえてはいるが、もはや人間ではない。
爪をひとふりすれば、小さな木など割いてしまうほどの威力をもっている。

”おまえは人間ではない・・”

獣人の頭に、そう声が聞こえる。

「違う!!俺は人間だ!」

”おまえは、獣人だ・・”

「違う!俺は、俺は人間だったんだ!」

”今の姿は獣人だ、それは事実だ・・”

「うぉーーー!!」と獣人は叫んだ。あたりの木々がビリビリと震えるほどの声
であった。

オレハ ニンゲンダ・・オマエタチ ガ オレ ヲ コンナニ シタンダ・・

獣人はぶつぶつとつぶやくように言った。頭の中の声は沈黙していた。

やがて、思い出したように獣人は空を見上げた。存在するはずの無い何者かに向けて
言い放つ。

「オレは人間なんだ!名前だってある!秋山信吾っていう名前があるんだ!」
思い詰めたように泣きそうな声で叫んだ。

「そうだ、そうなんだよ。思い出した。オレは人間だったんだ。それなのに、こんな
姿で、こんな地獄に送り込まれたんだ・・」
地面に向けて獣人秋山はつぶやいた。

秋山の記憶がどんどんはっきりしてくる。秋山は、元BEM 化人間回収主任をしていた。
mew や獣人たちを子供のうちに回収して、隔離する仕事である。

”憎いか??..”

再び、頭の中の声が囁く。

”おまえをそんな姿に変えたものが憎いか??”

「憎い!オレは人間だった。人間なのにケダモノに変えられたんだ!」

”憎むがいい。おまえの幸せを奪った者を。おまえの姿を奪った者を.. ”

頭の中の声は、獣人秋山の憎悪の心を煽るように言う。

秋山は思い出していた。あの日、人間であった最後の日の事を・・。

事の発端は、2056年7月の事だった。都内に住むある娘が後天的なmew 化をした
という密告があり、それを調査せよとの命令だった。
その頃の秋山は、次々と mew 化する子供達を収容する事に、ほとほと嫌気がさしてい
た。泣き叫ぶ両親の声は、耳について離れない。それが毎週のように聞かされるので
ある。精神のバランスを欠いた状態になりかけていた。

調査対象の娘は、真行寺宏美(10才)であった。父親が、真行寺流古武道の達人
であり、道場主でもある。父親の抵抗を予想して、警備の者を数名連れて調査に
赴いたのだ。

旧い瓦葺の建物で、この時代には珍しい家である。旧き良き日本という感じであった。
間口の広い玄関で、声をかけるが、誰も出てくる者はいない。部下を玄関に待たせ
秋山は、裏庭へと足を運んだ。

裏庭には、およそ80坪ほどの平屋の道場がある。道場にしては静かだ、誰もいない
のか?といぶかしむ秋山。
するとあたりの静けさを一気に破るほどの気合が静寂を打ち破った。

「やぁーっ!!」

誰かの気合の声、音程が高い事から少女の声らしい。と、同時に床板に打ちつける
ドン!という大きな音が聞こえてきた。
気付かれないように、道場にあいている格子の隙間から中をそっと伺ってみた。

中には、凛!とした雰囲気を発する少女が立ち、30才代と思われる男が床に
受け身をとっていた。

「あの少女が、投げ飛ばしたのだろうか?」と秋山はひとりごちる。体格のあまりの
違いをものともせずに?

聞こえるはずの無い小さなつぶやき声であったにもかかわらず、倒れていた男と
少女は秋山の方に向きなおり、微笑を浮かべた。倒された男が、ゆっくりと上体を
起こして言った。

「そこの方、何か御用でしょうか?」

覗き見しているようでバツの悪い思いはしたが、これは職務だと気をとりなおし
数歩を歩んで、道場の入り口に立った。しかし道場には入らないままだ。

少女と男は屈託の無い表情で、秋山に近づいてくる。

上は白い道着に下が黒袴のいでたちであった。少女は長い髪をひっつめててポニーテ
ールにしている。男の方も同じいでたちであったが、よく見ると、少女とどことなく
似ていた。

”おそらく少女の父親であろう”と秋山は考える。そして二人に初めて言葉を告げた。

「真行寺さんですね?」

男は秋山の雰囲気を悟ったのか、急に微笑みを消し、真面目な表情になった。

「そうですが・・あなたは??」

「私は、BEM 化人間収容庁から、調査にまいったものです。」

秋山がそう告げると、一瞬、男の顔に青みがさした。しかし、すぐに冷静さを取り
戻す。

「それでうちに何か??」男が言う。

男の言葉を半ば無視して、秋山は少女をみやる。美しい少女であった。大きくキラキラ
した目が印象的だ。明るい性格である事が、その雰囲気からも伺えた。

「君は、真行寺宏美ちゃんだね?」と秋山は言った。

「はい、そうですけど・・」少女は脅えた表情が浮かぶものの、見事にそれを隠して
言った。

”気丈な娘だな・・”と秋山は思う。

「で、あなたはお父さんですか?」と、男の方を向いて問う。

「はい、そうですが、どういった御要件で??」と男は言った。

秋山は娘の方を見て、今までに何度もその意思に反して作った、微笑みを浮かべて
少女に言う。

「ちょっと、お父さんと話しをしたいんだが・・いいかな?」

少女は不安そうな顔にはなったが、その意図を察して「はい」と明るく返事をして
道場から母屋に向けて歩いていった。

秋山の張り付けられたような笑みが即座に消える。その表情は冷たいが、どこかしら
とまどっているような雰囲気があった。

父親である男に向かい冷たく言い放つ。何度も言ってきた事だった。

「実は・・おたくの娘さんに mew の疑いがあるという報告がありまして、それを調査
しにきたんです」

父親は落胆を隠さなかった。今まで大きく見えた肩ががっくりと落ちる。まるで一瞬に
して歳をとったように表情が老けた。
しかし、父親が言った言葉は、その態度とは反対の意味であった。

「いや、違います。うちの宏美は、そんな者ではありません。あれは普通の人間です。
生まれた時には勿論DNA 検査は受けているし、その結果もネガティブなんです。おそ
らくデマでしょう」

そういう父親の目は血走っていた。秋山は、落ち着いて話せないか?と父親に問いかけ
母屋にある茶室の方へと案内された。

まるで、武道家が対峙するようなピリピリとした雰囲気が流れる。父親は真剣であり
武道家というよりは、娘を心配する親の意思を発散していた。

気まずい沈黙を破るように秋山が口を開く。

「初期の頃はわからなかったのですが、後天的に遺伝子が変化して mew 化する事が
あるのです。それで再検査をして欲しいのです」

それに反論するように父親か言う

「mew の DNA 検査は、生後1年以内に一度すませれば、後は再検査の必要は無いは
ずですが?」

「それがですね。mew 化の兆候があったと報告された場合は例外的に再検査が認めら
れているのですよ。あなたの娘さんの場合は、その報告があったのです。」

「一体誰がそんな事を!うちの娘は超能力などもちあわせてはいないのです」

「目撃があるのですよ。おたくの道場に見学に来た人が、娘さんが能力らしきものを
発揮したのを見たというね」

「どんな能力を見たというのですか?!」

「手を触れずに、相手を投げ飛ばしたり、距離をおいて相手を倒したりという報告が
きていますが・・」

父親は沈黙した。冷や汗が流れるのを手ではらいのけるようにしながら秋山の方を
チラチラと伺う。しかし決然とした態度で言った

「わが武道は、合気道と通じるものがあります。手を触れないで投げ飛ばしたように
見えますが、相手の力を利用して投げているので、そのように見える事もあるでしょ
う」

しかし、秋山は引き下がらない。

「しかし、距離をおいた相手を倒すというのは?どうなのですか?」

父親は狼狽しながらも息を苦しそうに吐き出し言った。

「昔から、気合をためて相手にぶつける事により倒す術があります。これは超能力
ではなくて、昔からある武道の技なのです。修練によって達人の域に達する者のみ
可能な技ですが、あなたも見ておられたとおり、娘は私さえ倒すほどの達人なので
すよ」

言い訳である事は秋山にも分かった。どうするか?思案している時に、くだんの少女
が入って来たのだ。

道着のままではあったが、手にお茶の道具を持ち、静々と入ってきた。秋山と父親の
間に立ち、可憐な花のように座った。何事も無いかのように、少女は、秋山の前で
お茶をたて、作法にのっとって、秋山にお茶を差し出す。

その姿は優雅であり、落ち着いていて、精神的な不安定さなど微塵も感じさせない。

秋山はお茶を手に取り、作法どおりにまわして一服する。それを見た少女が明るく
微笑んだ。
このあまりに健気な態度が秋山の心を揺さぶった。

”mew が収容されるのは、その存在が不安定であり、社会に害を為すからなのだ
 しかし、この少女のどこに害を為す要素があるのか??”

そう考えると、いかに職務ではあっても、法律の正当性が歪んでくるのである。

少女は入ってきた時と同じく、涼やかな笑顔で、静々と立ち去った。その姿を秋山
は食い入るようにみつめていた。やがて何かを決心したように父親に向けて言った。

「調査員である以上、私は義務を果たさなくてはなりません。娘さんのDNA を採取
して、持ち帰らなくてはならないのです」

こう言うと、父親はまた落胆する顔つきになる。続けて秋山は言った。

「持ち帰るのは髪の毛の1本です。それは今、いただきました・・」

父親は、その言葉を聞き、急に顔をあげた。「えっ?」という怪訝な表情である。

「もういただいたのです。いいですね。今娘さんが来られた時にこのバックの中に
採取したのです」

秋山は空の何も入っていないビニール製のバックを父親に見せた。

最初父親は事態を理解できなかったため、バックと秋山を交互に見ていた。しかし
やがて理解したのか、秋山に対して、姿勢を正し、深々と頭を下げたのだ。

そんな父親を横目に見ながら、秋山は「これで失礼します」と言い残し、その場を
離れた。廊下に出ると、秋山はすかさず、以前に調査してネガティブ反応の出た
採取サンブルのスペアを空のバックと交換し、「真行寺宏美」というレッテルを
貼りつけておいた。

それを持って、母屋を出て、部下たちに「終わったぞ」と指示し、本部へと帰って
いったのだ。

”あの子は、mew であっても害にはならない。今までのせめてもの罪滅ぼしだ。一度
くらいは・・”

本部への車中で、秋山はそう考えていた。
秋山にとっては、初めての裏切り行為であった。今までどんな時でも冷淡に職務を遂行
してきたのだ。自分でも信じられない事に、秋山は証拠品の偽造までやってのけたの
だ。勿論、発覚すれば秋山とて罪に問われる。それも重い罪である。危険な mew を
看過する事は、社会に対して敵対行為をする事と同一の行為とされているのだ。

だが、健気な少女の姿が、秋山にとってただひとつの裏切り行為を正当化させ、それを
快く感じている自分に喜んでいたのだ。
しかし、結果としてそれは秋山の運命を泥沼のものへと誘ったのである。

それから2年後、くだんの少女が道場で能力を発揮してしまったのだ。無論、再検査
となり、その調査は別の調査官が行い。結果はポジティブとなったのだ。
それがため、秋山の責任が追及され、結果として業務妨害、証拠品の偽造が発覚し
秋山は罪人として処罰を受ける事となったのだ。刑罰は、死刑であった。

理由は、取り締まるべき立場におかれながら、社会に危険を及ぼした重罪であると
いうのである。
判事は、冷たい蔑むような視線を秋山に向けて死刑を宣告したのだが、最後にひと
つだけ執行猶予の道がある事を示したのだ。

筑波大学の遺伝子研究所において、実験に協力するならば、死刑の執行は免除する
というものであった。

秋山にとっては、生きるか死ぬかの選択である。少しでも可能性があるならばと
秋山は生きる方をとったのだ。更なる地獄が待ち受けていたとも知らずに。

本来ならば死刑台に向かう身であった。それが裁判で判決が言い渡されると同時に
警備の係官が手錠をはめられた秋山を両脇から腕をとり、護送車に乗せられた。

これから向かうところが天国ではないことははっきりとしていた。実験とは言っても
死刑の執行を免除するほどの「何か」なのだ。簡単な実験ではありえない。苦痛を
伴うだろう事は目に見えていた。

それでも国家が行う事である。死ぬような事はしないはずであり、これによって
元の仕事に戻れるわけではないが、命は助かる事が保証されていたのだ。
死ぬような実験ではないと言われた事が秋山の気持ちを安心させていたのだ。
それに、今までの仕事にはほとほと嫌気がさしていたところで、秋山にとっては
退職するきっかけとなるものだった。今更仕事に未練は無い。細々とではあるが
実験終了後は静かに暮らしていこうと思いはじめていた。

車中は、動く独房のようなもので、長椅子がひとつあるだけのものだった。運転席
と秋山のいる車内には、硬質のガラスで区分けされており、ガラスには電子的な
神経麻痺格子が入っている。一見すると薄い紫色のネオンのようなレーザーが格子
状に走っているように見えるが、これに触れると触れた部分の神経がしびれて動か
なくなるものであった。どんな屈強な人間であっても車内から逃亡はできない。
元々「対獣人用」に作られた車であった。ひ弱な人間など、どうあがいても脱出は
不可能なシロモノである。

都心を走りつづける車内に異変が生じたのは、接地制限地区を過ぎた頃だった。
車のほとんどは、重力制御によって、200m以内の宙を浮遊していく事ができる。
ただし、都心の高層地区や交通の激しいところでは、浮遊する事は事故をうみやすく
重力制御を制限されているのだ。かつての東京湾、現在のベイポリスと呼ばれる地区
に入るとこの制限は解除されるのだ。昔の東京湾のほぼ中心に浮かぶ巨大な人口島
は、海に浮かぶ直径20キロのシャンデリアであった。様々な色が点滅しあい、中心
ほどその建築物は高くそびえていた。
ちょうど円錐形の都市が、海の上に浮かんでいた。その四方には、連絡道路が弱々し
い糸のように伸びているが、それを使う者はめったにいなかった。
ほとんどは海の上を飛んでいくのである。

人類の技術が産んだ巨大で壮麗な構築物を横目に見た時、突如として車内に煙が充満
したのである。
秋山にとっては理不尽な何かが起こったのだ。苦しそうにあえぎ、運転席の看守に
助けを求めた。しかし、看守は冷ややかな笑いを口元に浮かべただけで、そのまま前方
を注視してしまったのだ。明らかに看守は今の事態を知っているのだ。殺されるという
恐怖が秋山を襲った。

「何をする!!」

秋山は叫び、ガラスに向かって立ち上がった。本能的にガラスを打ち破ろうと触れた
途端。秋山の腕から感覚が消失した。
一種の催眠ガスだと分かった秋山は、安堵はしたが、そのまま意識を薄れさせていっ
たのだ。

★人体実験

次に秋山が気が付いたのは、狭い6畳くらいの広さの小部屋であった。ベッドではな
い。電気椅子に座る死刑囚のように、手足は椅子に縛り付けられ、首さえも首輪で固
定されていた。せいぜい顔の向きを変えるくらいしかできない状態で覚醒したのだ。

目の前に女が立っていた。痩せぎすの冷淡でとげとげしい雰囲気の女であった。髪は
アップにしてまとめてあるが、爬虫類のような酷薄な唇が、その女の性格を如実に
あらわしている。

「おはよう。秋山さん」

彼女はまるで道端で出会った友人のように言った。この気軽さがますます無気味であり
秋山は言い様の無い不安感をつのらせていた。

「俺は・・どうなったんだ?これは電気椅子か?実験に協力すると言ったはずだぞ!
何故こんなところに縛りつけらよれているんだ?」
秋山は興奮して言い放つ。

「まあまあ。そう興奮しない事よ。あなたは死刑にはならないから安心していいわ。
縛りつけられているのは、今から早速実験に入るからなの。それも初めての実験だか
ら、あたしにとっても結果に興味があるわけ。どういう実験か知りたい??」

こう聞かれて、秋山は聞きたくない気持ちを心の奥で感じていたが、目はうなずいて
いた。

「そう。じゃ、教えてあげる。でもその前に、あなたのした事がいかに重大な罪だっ
たかを教えてあげるわね。」

こう女は話し、秋山に数歩近づいてきた。たいして色気があるわけでもないのに
しなをつくり、秋山に寄り添って来る売春婦のようであった。

「あなたが故意に見逃したあの宏美ちゃんという女の子はね・・あたし達にとって
とっても重要な意味を持つ人間だったのよ」

女は続けて言った。

「あの娘、mew 遺伝子を持っているのに精神はずっと安定していて、普通の女の子と
変わらないのよ。いいえ。むしろ普通の娘よりずっと安定しているくらい。これは今
まで無かった事なのよね。そんな娘をあなたは見逃した・・」

秋山は女が言っている意味を推し量りかねていた。そして女に言う。

「まてよ!精神が安定しているならば、何故収容する必要がある!俺だってそう思った
から・・収容する必要が無いと思ったから・・だから見逃したんだ!社会に害悪を為す
人間じゃないんだぞ。それを何故??」

「あはははっ!あなた本気で言っているのね?」女が言う。

秋山は、不意をうたれたように怪訝な顔をして言った。

「当たり前だろ?何故収容する必要の無い人間を・・」そこまで言わせて、女は秋山の
唇に人差し指をあてて黙らせたのだ。

「よーくお聞き!mew にしろ、獣人にしろ、あたしたちにとっては実験結果でしかな
いのよ。あなたは大事な実験結果を故意に隠した。だからここにいるの」

「ど、どういう事だ??」

「あなた mew や獣人が本当に環境汚染から来る遺伝異常だと思っているの??そんな
のは単なる奇形だけでおさまるものよ。あそこまで異常な変形は有り得ないでしょ。」

女は事もなげに言う。しかし秋山にとっては信じられない真実となって心に突き刺さ
ったのだ。

「ま、まさか・・まさか mew や獣人の遺伝異常は、人間の手で故意に起こされたモノ
だったという事か??」

「うふふ。やっと分かったようね。そのとおりよ。私達の実験の結果なのよ。あなた
人類だけがどうして他の動物と違って、これだけ特異な進化を遂げたと思うの?人間
の遺伝子にはね、進化する情報が書き込まれているのよ。元々からね。」

そこまで言って女は息をついた。そして続けて言い放つ。

「人間は自然のうちに、ある時期が来るとその形態なり精神なりを変化させていく
ようにできているらしいの。それが分かったのが、今から50年くらい前の事だった。
細胞内のミトコンドリアに変化をもたらす事で、人間の異常な進化を促進させる事が
分かったのよ。それから内密に研究がはじまったの。人間の行き着く進化はどのうよ
うになっていくのか?最初はそれを確かめる為だったの。でも、その過程で、今の
人間よりずっと肉体的に強く、特殊な能力も持つ存在になれると知った政府は、それを
国家レベルでの秘密研究に切り替えたわけ。何故かわかる?そういう人間を支配する
国は、圧倒的な力を持つ事ができるからなのね。それ以来、研究が積み重ねられ
特定の変化をもたらす薬剤が作りだされたの。それを乳児に与えたり、母体である母親
に与えたりした結果、獣人や mew が生まれたわ・・」

女は遠い夢を見るような口調と目つきで誰に話すわけでもなく、秋山に聞かせていた。
まるで自分に酔うようにだ。

「最初は喜んだわ。何しろ自然の手によらずして、人間自身の手によって進化を促した
のだから。でもそれは失敗だった・・。」

「精神の不安定さか・・!」秋山がポツリと言った。

「御名答。そのとおりよ」女は夢からさめたように秋山を見て言った。

「それ以来、研究は積み重ねられて、獣人やmew は増え続けていったの。でもそれらは
すべて精神が不安定だったの。精神が安定していなければ制御は不可能。だから武器と
しても制御不能な武器は役にたたないのよ。でもね・・。真行寺宏美は違った。初めて
安定した精神を持つ mew だったわけ。あなたはその大切な実験結果を隠した!」

秋山を攻めるように女は言った。

こんなやつらの手先になっていたのか?と秋山は自分を悔いた。知らずとは言え、
善良な者たちをその親から引き離し、実験に協力していたのだ。罪悪感が秋山を満たし
た。
そんな秋山の気持ちを知ってか知らずか、女は同情のそぶりもなく、もっと衝撃的な
話しをしはじめたのだ。

「さて、あなた・・だけど。あなたには新しい実験体になってもらう事になったの。
今までは胎児の段階か、生まれてすぐ遺伝子検査を受けた後でじゃないと遺伝操作の
効果は無かったんだけどね。新しく作られた”進化薬”は、薬と言っているけど、実は
ウィルスなのよ。このウィルスは、すでに成人した者に対して使われるものなの。感染
した者は、身体が再構成され、獣人もしくは mew 化するわ。ほとんどは獣人化するの。
今まで mew になったマウスはいなかったし。人間ではまだ試していないのよ。あなたが
その第1号というわけ。どう?光栄でしょ?」

秋山は全身汗びっしょりであった。この俺が獣人に??だと?まさか?そんなバカな!
と叫びたい気持ちが湧いてくる。だがその前に女が言った。

「あ、安心していいわよ。このウィルスは感染して変化をもたらした後は死滅するか
ら。原則として体内に入らなければ感染しないし、一度入ったウィルスは他の固体に
感染する事は無いから、少なくともわたしは感染しないわ。他の誰にもね」

秋山の恐怖は怒りとなって爆発しそうだった。物凄い形相で女をにらみつける。その気
迫を感じてか、女は秋山から後ずさり一歩離れる。

「おお、こわ。これで獣人になったらどんなになるかしら?とっても興味があるわ。
獣人は、知能の発達が制限されるからなかなか支配するのが難しいのよ。でもあなたが
ある程度の知能を持ったまま獣人化すれば、それは他の獣人たちに対して無敵の存在
になる事を意味するわ。何しろ自分の特性を生かして効果的にそれを使えるのよ。他の
獣人のように本能だけで攻撃する事はないの。冷静な殺戮機械になってくれるのは間違
いないわ。もっとも、その知能をどこまで持ったまま獣化できるか?にかかってるのだ
けれどね。」

女は薄笑いを浮かべて、壁際に向かう。コンソールからいくつかのボタンを押すと
壁の一部が迫り出し、トレイのようなものに収まったスプレーガンを取り出した。

「痛くはないわ。普通の注射と一緒よ。プシュ・・となるだけ。」

そう言って、楽しそうに女は秋山に近づく。秋山は逃げだそうともがいた。無論、首も
手も足も拘束されたままである。逃げだせるはずがないのだ。それでも迫り来る恐怖
と闘っていた。人間でなくなるという恐怖は秋山の中で、巨大な「恨み」に変わって
いった。

”忘れるものか”

秋山は心で言った。

”この恐怖を、この恨みを・・忘れるものか!いつか復讐してやる。例え人間でなく
なったとしても、俺をこんな目にあわせた奴等を絶対に忘れない!”

同時に腕に鈍い痛みが走る。ウィルスが注入されたのだ。

”俺は獣人となる・・南鳥島に送られるだろう。今までに送ってしまった獣人や mew
と同じように・・俺もそうなるのだ。しかし俺は忘れ・・ない・・。”

そこまで思った時、秋山の意識はぷっつりととだえていた。人間であった最後の日の
事であった。それからどこをどう送られてきたかわからない。自分にどのような変化
があったのかも分からなかった。気が付いた時は、低木のジャングルの中で豚のはら
わたをえぐり出し、肉を引き裂き、口いっぱいほおばりながら咀嚼していたのだ。

秋山としての記憶は、少なかった。いや、ほとんど無かったとも言える。本能のままに
行動し、突き上げる欲望を満たしていたのだ。他の獣人と同じように。

いっそそのままの方が良かったかもしれない。研究所も秋山が知性をあらわさないと
知り、そのまま他の獣人たちと同じように、南鳥島送りとなったのだ。しかし秋山に
は、他の獣人とは違い、ひとつの能力が芽生えていたのだ。それは mew の特質でも
ある精神感応の能力であった。

獣人の精神は単純だった。食べて、殺して、犯すだけだ。知能のかけらも見当たらな
い。そんな精神に触発されて、秋山自身もますます獣人と化していた。

だが、ある時、秋山の頭の中に、何か別な者が潜んでいるのが感じられたのだ。
頭の中にいるのではない。頭の中に直接話しかけてくるのだ。

それは知性を持っていた。明らかに獣人の知性とは違うものであった。mew の一人
らしい事はわかっていた。そいつは「おまえは誰だ?」と、同じ事を何度も何度も
繰り返していた。寝る時も、獲物を襲う時もである。

やがてその知能に触発され、秋山は初めて自己を認識しはじめていた。「おまえは
誰だ?」という声はやがて秋山の声となり「俺は誰だ?」へと変化していったのだ。

「俺は誰だ???」

こう叫び続けてジャングルを徘徊し、幾度も他の獣人と戦い暮らすうちに秋山は
すべてを思い出していた。

「俺は・・秋山信吾だ・・」
「俺は・・人間だった」
「俺にはしなければならない事がある」

幾度も繰り返すうちにひとつの焦点が浮かびあがっていった。

        「 復讐・・だ! 」

すべての記憶が戻った時、秋山は復讐の塊となって地獄に君臨した。他の獣人たちは
所詮自分の能力を制御し使う手段は持たない。秋山は地の利、能力をフルに使い
やがてその精神感応の能力をも発達させて他の獣人を支配下においていた。

今や他の獣人は、秋山を見て逃げるか、従うかのどちらかであった。逃げる者は容赦
なく殺した。身体も、その牙も爪さえも、他の獣人たちより一回り大きく、しかも
その筋肉は誰よりも強靭であった。ほとんど瞬間移動と言っても良いくらいのスピード
で動きまわり、他の獣人たちを圧倒していったのである。

無敵の獣人、獣人たちの神。それが今の秋山であった。

秋山が獣人地区で君臨した時、再び頭の中の声が話しだした。

”おまえは、ここを出なくてはならない”

「どうやって?!出られる場所ではない!」そう宙に向かって吠える。回りの獣人
には聞えるはずもない声だ。自分たちの支配者が突然怒鳴りだし、他の獣人は脅えて
いた。

”迎えは来ている・・。しかし、まずこの島を支配しなくてはならない。北区の mew
たちと行動をともにするのだ。彼らと接触するのだ”

前と同じく何度も繰り返す声であった。そいつが言うには、北区への侵略をし、看守
全員を倒すか、島を出ていかせてはじめて潜水艦が迎えに来るというのだ。看守たちが
いれば、潜水艦は、島へ近づけないのだ。これは理にかなっていると秋山は考えた。

mew たちにも精神感応で連絡してあるらしい事もほのめかしていた。

ある日、”灯台にいる mew と接触しろ”と声は言った。南地区の北側の壁の向こうに
灯台の先端が見えていた。
秋山の目は人間の頃と違って素晴らしく発達している。望遠鏡と言っても良いくらい
見えるのである。

灯台には何人かの男がたむろしていた。どうやら女を犯しているらしい。超能力を
使って身動きできなくし、宙に浮かべて遊んでいるのだ。その精神には知能は感じら
れるが、欲望で動いている点では、獣人の心と同じであった。ある意味で秋山と近い
ものがある。

用を果たしたそのリーダーらしい男に、秋山は思念を発していた。

”おい!” 秋山が念じる

これにピクンと反応したように男は念じ返してきた

”誰だ?俺様を呼ぶヤツは。名前を呼びやがれ!ヒロキって名前でな”

”ふん。名前なんぞどうでもいい。俺はおまえたちの姿を見ている。南のジャングル
からな・・”

”ジャングル・・?南だって?・・ほぉ、おまえは獣人か?獣人にそんな能力があっ
たのか?こりゃ驚かせるぜ”

ヒロキは、背後で仲間が楽しんでいるのを尻目に獣人と精神による会話をしていた。

”手伝え・・”秋山は言う。

”何?何を手伝えって??ひょっとして、おまえ・・例の獣人たちの神か?”

ヒロキが念じる。しかし秋山はそんな事はどうでもいいと言ったように言葉を無視し
た。

”俺はここを出なくてはならない。手伝え!”

”けっ!命令口調か。気にいらないな。だがおまえの事は聞いていたぞ。どこのヤツ
かは知らないが、呼び掛けてきてな。この島を乗っ取れとかヌカしていやがった。そ
んな事できるもんかと思っていたが・・”

”俺が、北区にいけば支配はできる・・”

”そうだろうな。俺たちと叛乱を起こせば・・な”

”手伝うのか??”

”その聞き方は気に入らないが、ここを出られるならば協力してやるさ。”

”決まりだ。事は同時に起こす。連絡は怠るな。おまえたちの手引きで、俺は北区
になだれ込む。後はまかせろ。この島を支配して、すぐに脱出だ。そして・・”

”そして??何だよ?”

”ふっ、おまえには関係ない・・復讐だ!”

最後の言葉に、ヒロキは強烈な意思を感じてあとずさった。凍り付くような意思
燃える憎悪を感じたのだ。

それから数箇月後、獣人と mew は結託し、島の北区になだれ込み、島を制圧していた。
獣人の一部は興奮と欲望に染まり、北区の花御殿で殺戮をくり返し、弱い女性 mew を
血祭りにあげる事に熱中し、島の爆発と運命をともにした。ヒロキも脱出するはずで
あったのに、仲間を貸せと言って獣人2名を連れていったまま戻って来なかった。

秋山と、その部下の獣人のほとんど。それに mew の男たちと女たちの一部が迎えに
やってきた潜水艦に乗り爆発前に脱出できたのである。
島からそう遠くない海底に、人口のドームがあり、爆発の水圧にも耐えられる基地が
あった。潜水艦はそこに隠れ潜んで爆発をやり過ごしたのである。

秋山は、どこの国の潜水艦か分からなかったが、彼らに手引きされ、島を脱出した。
先の運命はわからない。秋山にははらすべき目的があった。自分をこんな怪物に仕立
てあげた奴等への復讐である。ドーム型の基地は、それ自体が巨大な潜水艦になって
おり、爆発の余波が去ったと同時に少しだけ海底から浮き上がり、静かに海底の底へと
進んでいったのだ。

                      to be continue.......